個人の体験「〜た。」と一般的な事実「〜る。」
私は小学生のとき、勉強で忙しかった。小学校では毎週宿題が出た。
わが国の小学生は勉強で忙しい。小学校では毎週宿題が出る。
上の2つの例の2文目はどちらも「忙しい」ことの根拠となる事実の一例を挙げたものです。
「出た。」は私の体験したことという個人の体験としての事実です。
一方、「出る。」は小学校でどの小学生も体験することで、一般的な事実です。
特に、一般的な事実としての「〜る。」のとき、留学生の作文でしばしば「〜た。」を用いているものがあります。
小学生一般に通じるということだから、「毎日ごはんを食べる。」の「〜る。」と同様、繰り返し起こる行為のはずです。
過去の事実または今現在までに終わった事実としてのみとらえられると、「〜る。」ではなく「〜た。」にしてしまうようです。