BLOG文章表現

日本語教育、留学生の作文教育、日本語の文章や表現の備忘録です。

やり方を要領よく教授することの難しさ

「決まったことを、決まった手順で、決まった言葉を使って教えられる教師はいても、相手を見て、相手の能力や傾向に合わせて、自分の言葉を使ってものを教えることのできる教師は数少ない。」(p.216)
「僕は思うのだけれど、まったく泳げない人を白紙の状態から教えていくよりも、ある程度泳げる人のフォームを改造していく方が、教師の側からすればおそらく難度は高いはずだ。」(p.217)


村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』の一説ですが、フォーム改良のために何人か水泳コーチについて習った体験が書いてありました。
「泳げない人」「泳げる人」「フォーム」を「書けない人」「書ける人」「作文」に変えると、日本語教育の文脈でも同じことが言えそうです。

中上級者対象の作文の授業で、個別指導がもっと必要ではないかと思っていました。
しかし、クラスサイズをより小さくしたりマンツーマンで対応したりしても、教える側の指導力がなければ効果は薄いのではないでしょうか。

指導力のある教える人をどうしたら育成できるか、個別指導をする人を増やしていくためにいかにトレーニングしていくかが課題になるのでしょう。
しかし、学校のような組織で体系的にこのような人を定期的に大量に育成できるのでしょうか。

というのは、過去から現在まで出会った人たちの中で、学習者個々のことをよく見てそれぞれに応じた適切な教授をしている人は少ないと思うからです。
授業という枠の中で教え方がうまい人、教える内容を深く理解している人には結構出会いました。
しかし、習う相手に沿った教授法や内容を適切にコーチして達成できるようにするという人はあまり思い付かないのです。
自分自身もシステムを作ってその枠でなら何とか教えられるというタイプの授業をしています。


・『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹文藝春秋、2007年

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること